about my blog

WELCOME TO MY BLOG!

I'm writing mainly about art and films which I see in New York City, and sometimes about architecture, dance or music. I also often write freely what I'm thinking. You can also get information regarding my own films.

This blog is written both in Japanese and English. But I sometimes write only in Japanese or in English depending on situations.


はじめに

このブログでは主にニューヨークで出会ったアートと映画について、時には建築やダンス、音楽について、時にはそのとき考えた事を書いたりしています。また私自身が撮った作品について紹介する事もあります。

日本語と英語の両方で書くようにしてますが、どちらかのみになってしまうことも多いので、ご了承ください。

7/15/2009

"In Cold Blood"

"In Cold Blood" (『冷血』)
written by Truman Capote

10年ぶりぐらいにトルーマン・カポーティの『冷血』を読み返した。正確に言うと、10年前に日本語で読んだのだが、最近になって英語で再び読んでみた。

実はこの『冷血』という本は私にとってとても思い入れのある一冊で、おそらく私が自分で選んで買った初めての本だと思う。と書くと、なんと本を読まない人間なのだろうか、という感じではあるが(まぁ、事実、私はそれほどの読書家ではないが)、むしろ自分でわざわざ本を買う必要がない家で育ったというのが正直なところ。私の母はそれなりの読書家だったため、家にはそれなりの量の本が本棚に並んでいて、手を伸ばせばすぐ届く距離に本があった。私の母はかなりミーハーな人間でもあったし、もちろん選ぶのも買うのは彼女自身なのでやや偏りのあるセレクションはあったけども、それでも文学作品から流行の本まで広く浅くあったような気がする。そして、私の母曰く、手を伸ばせばすぐ届く距離に本を置いておきながらも、子供に本を読む事を強制しないという彼女の教育方針上、本を読めと言われた記憶はあまりない(まぁ、そのためか、私は実際のところあまり読書家にはならなかったのだが)。本についての情報はほとんど母から入ってくるし、母が面白そうに読んでいる本があれば、彼女が読み終わった後に気が向いたら読んでみるという感じであった。そして彼女が面白い本に出会った場合、読んだ横からそのあらすじを私に話しだすか、そうでなくともその本について熱っぽく話しだしたりするので、それを聞いて惹かれたら実際に読んでみるという具合だった。しかし大概の場合は彼女の話を聞いて自分も読んだ気分になってしまうし、そして実際に自分で読んでみようと思うほど惹かれるものもそれほどなかったりしたとうのが事実だったりもするのだが。

と、そんな本を買わない私が何を思ったのか、高校生の夏休みにカポーティの『冷血』を自分で買ってみた。確かきっかけは、新潮社かどこかの夏休み用のチラシの中で、著名人何人かがお薦めの一冊の紹介をしていて、そこで爆笑問題の太田光が書いた『冷血』についてのレビューを読み、興味を持ったというそんな単純なものだったと思う(ちなみにその当時の爆笑問題は今ほど有名ではなく、彼のレビューを読んだ時、彼がどんな人であるのか全く知らなかった。)それに『ティファニーで朝食を』を書いた作家が全く異なるタイプの作品を書いているというのも興味を持ったのかもしれない。いずれにせよ、当時の私はカポーティの「カ」の字も『冷血』の「れ」の字も知らないでこの本を買ってみた。

そして当時の私はこの本にかなり衝撃を受けたのを記憶している。社会に適応することができず、犯罪を犯し、そしてさらに社会から排除される登場人物。そうした眼に見えない社会のシステムとメカニズム、そこに実際に生きる人間のあり方についてはっきりを興味を持つきっかけになったようにも思うし、そんな私が大学で社会学部に進んだのは自然な事だったのかもしれない(日本の大学では社会学部でした。社会学は大して学んでいないけども。)

と、前置きが長くなったけども。そんな訳で、いろいろな意味で思い入れのあるこの本をいつか英文で読み返そうと思いつつ、やっと最近になって読み返してみたのですが、自分の記憶している内容と実際の内容とが実はかなり違うというのに実はかなり驚かされてしまった。読んでから10年近く経っているし、そうした物語などについての記憶力は良くないので、当然と言えば当然なのだけども、しかし思い入れがあると思っていた本でそれほど記憶と実際の内容にずれが生じているのを発見するのは面白いと同時にやや複雑だったりもする。つまり高校生の時の私はこの本を正しく理解していなかったのではないかなどと思ってしまったり。いや、正確に言えば、強く印象に残っている部分がかなり引き延ばされ、そうではない部分が縮小されてしまっていたのだ。例えば、私の記憶の中では登場人物達が逮捕され、留置所でのシーンが結構長く(そして私の中では物語の中でも中心的な場面だったのだが)、そしてなぜか私はそこを留置所ではなく刑務所での話だと間違って記憶していた。そして、絞首刑の場合、約20分経たないと完全に心臓は止まらないということもこの本を読んで初めて知り、死刑という行為の残酷さがやけに印象に残っていた。けども、実際に再読してみると、驚いた事に、Dickの死刑執行のシーンは明確に書かれているにも関わらず(そして意外とさらっと書かれている)、Perryの死刑執行シーンは実ははっきりとは書かれていない。そのシーンはこの事件を担当した捜査官の視点から描かれているのだが、Perryに刑が執行する瞬間、彼は眼を閉じているのだ(その行為の意味するところは読んでみればわかるのだが)。

それに日本にいたころには、「カンザス」が一体どういうところであるのか、それが何を意味するのか、その背景にあるアメリカ社会というのを全く知らなかったのは事実でもあるので、当時の私の理解度は70%ぐらいかもしれない。

このように再読してみてかなり記憶とのずれはありながらも、それでもこの本への評価は変わらない。中立的にこの事件を描いているというよりも、複数の視点から描かれ、真実を描き出すというよりも、『羅生門』のように真実は結局のところ実は見せていない。実際のどのようにClutter一家が殺害されたかの詳細な情報は供述からわかるし、それがかなり残虐なものであることはわかるのだが、しかし、それは結局のところ、Perryから語られる描写でしかなく、つまり、あくまでもPerryにとっての真実でしかない。第一章は殺人事件が起こるまでの被害者と加害者の行動・出来事を描写しているのだが、肝心の事件のシーンはそこで描かれる事はなく、その次に描かれるのは事件を犯した後のシーンへと飛ぶ。読者がその殺人現場に居合わせるということは決して許されない。読者はある種の「最後に被害者を目撃した一人」となることは許されるにも関わらず。実際にあった事件であるし、かなり綿密な調査に基づいて書かれているのだが、読んでいる側としてはノンフィクションを読んでいるという感覚はあまり持たない。どこまでが事実でどこまでがカポーティの想像かはわからないが、彼の文章を読んでいると読者も常にその場に居合わせたかのような感覚を覚える。

全体を通して、特に第一章から第二章にかけてはかなりサスペンスフルである。第一章ではこれから殺害されるであろう被害者とその被害者を殺害しに向かう加害者の行動を、対比するように行ったり来たりしながら両者を描く。これから殺されるなど全く夢にも思わない者とその命を奪う者の距離が徐々に近づくスリル。第二章では事件の捜査がなかなか進まずに苦戦する捜査官や不安に包まれるHolcombの町の人々と、向こう見ずな逃走の旅を続けるPerryとDickが対比される。

カポーティがPerryにかなり思い入れがあったことは文章からかなり伝わってくるし、そのため読者も、感情移入とまではいかなくとも、かなり同情してしまう部分がかなりある。彼がもし異なった生い立ちをたどっていたならば、果たして違った人間になり得たのだろうか。そして、死刑というものについても再び考えさせられる。まぁ、反対の立場である事は変わらないのだけども、そう簡単な問題ではないなと改めて認識させられた。

と、なんだかまとまりのない、そのうえ無駄に長い文章になってしまいましたが。また数年後再読してみたいです。

そういや、ここ数年間に二本も『冷血』に取り組むカポーティを題材とした映画が作られていたが、なぜなのだろう。今更。と、私はそのどちらも見ていませんが。。。

Recently...

I did not have enough time to write about the things I did (or I saw, watched, went...) recently, so I just list them briefly.

"The Beaches of Agnes" by Agnes Varda (film)--- First, I wished I could have understood French, so I could follow the film (or could look at the images more)... I though Agnes Varda is a really interesting artist, rather than filmmaker.

"Achilles and the Tortoise" by Takeshi Kitano (film)
--- Very disappointing.

"IN-FORMATION" by Wakako Ishida / NYDC (dance)
--- This was much better than I expected. Some scenes were very impressive though I didn't like a couple of scenes. I couldn't like the duet parts, which looked like some scenes from a soap drama. I loved their minimalistic movements.


7/05/2009

Dan Graham: Beyond

Dan Graham: Beyond
@ the Whitney Museum
on view through October 11, 2009

Dan Graham(ダン・グラハム)というアーティストについてこの展覧会で初めて知ったのだが、アメリカ人アーティストであるにも関わらず、アメリカで個展が開かれるのは今回が初めてだという。あまり知られていないアーティスト。ヨーロッパでの方が人気があるようだ。

このアーティストは実に様々な作品を作っている。パビリオンを建てたり、写真を使ったり、雑誌媒体を使ったり、映像を使ったり、ビデオを使ったり、パフォーマンスアートをしたり、と一言ではまとめられない。カテゴリーやメディアにとらわれず、まさにカテゴリーを「Beyond(越える)」創作を行っている。

様々なメディアを使ってばらばらな作品を制作しているが、しかしそれでもそれぞれの作品にそれなりの共通点も見えてくる。どの作品もコンセプチュアルであり、そして重要なのは、観客の存在をかなり意識したものであることだ。つまり、まさに観られる事/受容された事で作品が完成するような作品なのである。もしくは鑑賞者が観ている(「体験する」「経験する」という方が正確かもしれない)その瞬間にこそ作品が存在しているといっても過言ではない。

パビリオンにしても、それ自体だけではあまり何も意味をなさない(そのフォルムだけでもそれなりに美しさがないわけではないけども。)鑑賞者がパビリオンに近づき、そしてその中に足を踏み入れて、初めて作品が機能しだす。マジックミラーの効果なり、8秒遅れて映し出されるテレビモニターなり、鑑賞者本人の体がその作品の中を横切り、そして本人の眼でそれを目撃しなければ、Grahamの作品がなんであるのかはわからない。

彼の有名な(と言われている)パフォーマンスを記録した映像も上映されて、どうやら説明によるとその作品では、ダンススタジオのような大きな鏡が置かれた部屋に十数名の観客が収容され、その観客の前でGraham本人がまず自分自身の動きなり、感じたことなりを言葉でひたすらに描写してくらしい。そしてしばらくすると徐々に観客の様子についても描写していくというもののようだ。(残念ながら古い映像のためか、音声が悪く、彼の言葉は聞き取りずらかったのだが。)しかしこれの作品はどこに存在するかというと、まさにその場にいた観客の内面にしか存在しないのではないだろうか。つまりその場にいて、アーティストに自分自身なりの描写をされて、その場の雰囲気を味わう事によって生じる感情なり感覚がこの作品が生み出す効果であり、そして作品自体なのであろう。つまりビデオを見ただけではその作品を見たことにはならないのである。体験しなければならないのだ。

しかし、かなりインテリジェンスな作品であるし、おもしろいアーティストであるが、彼の興味の幅が広すぎるのか、もう少し何かにしぼってもいいような気がしたのは私だけであろうか。

7/01/2009

Projects 90: Song Dong

Projects 90: Song Dong
June 24 through September 7, 2009
@ MoMA, 2nd Floor

MoMA's "Projects" series introduces emerging artists each time. The artist currently featured in this show is a Beijing-based artist, Song Dong.


This installation titled "Waste Not" was initially started with the artist's mother who passed this year. It was aimed to heal the mother's grief following the death of the artist's father in 2002. It consists of the complete contents of the mother's home - magazines, pots, bottles, shoes, toys, chairs, and even the frame of the house - which have been accumulated for over fifty years.

This represent the Chinese concept "wu jin qi yong" or "Waste Not" (probably similar to "mottai nai" (もったいない)in Japanese.) The things are almost (or completely) junk. But actually it was really interesting to see what had been in her house. Through them we can peek their lifesytle in China. (And it was funny that they had so many same things! Why do they need so many pots or chairs?)




MoMAの「Projects」シリーズは毎回若手のアーティストを紹介する展示で、今回取り上げられているのは北京のアーティスト Song Dong(ソン・ドン?)

「Waste Not」と題されたこの作品は当初アーティストの母親との共同制作で始められたものであった(残念ながら今年亡くなられたそうだ。)もともとは、2002年に亡くなったアーティストの父親の死から母親を立ち直らせることが目的だったようである。

この作品では中国にある「Waste Not」という考えが表現されている。おそらく日本でいう「もったいない」という考え方にあたるのだろう。母親の家にある全てものが集められ展示されているのだが、展示されている物はというと雑誌や壷、空き瓶、靴、おもちゃ、いす、そして家の枠組みまである。はっきりいってほとんどのものはがらくたなのだけども、しかしそこから戦後中国/現代中国の生活を垣間みる事ができ、ひとつひとつ見てみるだけでも結構興味深い。(そして正直なんでこんなに同じ物ばかりあるのだろうと不思議なのだが。こんなに壷とか椅子と必要なのかしら?)

MoMAの2階スペース。9月7日まで。

6/28/2009

James Ensor

James Ensor
at MoMA
June 28 - September 21, 2009

19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したベルギーの画家、James Ensor (1860-1949) (ジェームス・アンソール、エンゾール)のレトロスペクティブ展。マスクや骸骨などを使った、社会を風刺するような作品が特に有名で、奇妙で時にはグロテスクでありながらも、ユーモラスな作品が多い。

知らなかったのだが、初期はかなり印象派そしてポスト印象派のような作品を制作していたようであり、モネやセザンヌやゴッホなどを連想させられる。そして徐々に骸骨やマスクなどの要素を取り入れつつ、1883年を境に彼のイマジネーションの世界へと変化していく。しかし、マスクや骸骨などを使った空想的な作品であれ、筆触分割やコンポジションといった基本的技術は彼の初期の作品から大きく変化していなく、初期の頃に築いた土台の上に新たな世界へと発展していったという連続性が作品の中にしっかりと見られる。

James Ensorの父親はどうやら土産物やカーニバル用のマスクなどを売っていたようで、そうしたキッチュで奇妙なものに囲まれて育った事を考えると、彼がマスクや骸骨を作品の中に取り入れたのは至極自然な事なのであろう。

見ていると、作品の中のキャラクターはマスクをつけているのだが、しかしむしろそのマスクは実は人々の本当の顔のようにも思えてくる。Ensorはマスクを描いているが、しかし人々の本当の「素顔」を暴き、そして人々が内面に隠し持っている狂気を同時に暴いている。

今回の展覧会では晩年の作品はほとんどなく、大半が1800年代のものとなっている。おそらく晩年はそれほどマスクというモチーフや社会風刺というテーマを描かなくなり、そしてそれゆえに後期の作品はそれほど評価されていないということなのだろう。後期の作品も数点展示されていて、それらはそれらで柔らかいかわいらしい作品ではあったが、確かにマスクを描いていた頃と比べると、弱くなってしまうのは確かであろう。マスクをモチーフとした作品には毒と力強さ、そしてどこか「死」を連想させるものも多く、観る者を惹き付けるのだろう。


6/25/2009

Herb & Dorothy

Herb & Dorothy
a film by Megumi Sasaki

A sweet story. If you are an art lover or a museum/gallery-goer, you would like this film.

This is a documentary film about Mr. & Mrs. Vogel who are one of the most important modern/contemporary art collectors although they are just a postal clerk and a librarian with small incomes. This shows their passions for art and deep understanding.

Some of artists' comments in the film were interesting - such as Christo & Jeanne-Claude, Chuck Close, or Lynda Benglis.

Now playing at Cinema Village, New York.

"Herb & Dorothy"
http://www.herbanddorothy.com/

Washington Square Park